カレーせんべい氏が生放送で、「ゴー宣はバトル漫画」「ゴー宣もドラゴンボールと一緒」と言い出し、ギャラリーも全員それに賛同して盛り上がっていて、これに同意する感想も出ているようですが…
全然違います。
ライジングVol.498の「鳥山明の戦闘漫画に敬意を表する」をちゃんと読んだのでしょうか?
その前に、ゴー宣のどこを読んでいるのでしょうか?
よしりん先生が、「戦闘漫画は嫌いだが格闘漫画は好きだ」として、「戦闘漫画」と「格闘漫画」を分けて書いている意味を考えなかったのでしょうか?
じゃあ、『はじめの一歩』も『あしたのジョー』も『ドラゴンボール』と一緒ということになるのでしょうか?
格闘漫画は「どんな練習をして、どんな技術を修得して強くなっていくのかといった理屈がわかる」から好き。
戦闘漫画は「なぜ強くなるのか全くわからないけれど、戦闘がエスカレーションして、果てしなく強くなっていく」から理解できない。
と、よしりん先生は書いていますよね?
格闘漫画は、そうやって修業が描かれることを通して、人間の成長とか、精神性とかが描かれるのです。
戦闘漫画は、人間が描かれず、ただ強くなるのです。だから飽きるのです。
確かに格闘漫画にも戦闘漫画にもバトルは描かれます。
しかし格闘漫画はバトルを通して人間が描かれるのに対して、戦闘漫画は人間が描かれず、バトルだけが描かれるのです。
バトル「を通して、テーマを描く」のが格闘漫画。
バトル「だけを」描くのが戦闘漫画。
と言ってもいいでしょう。
確かに『ゴー宣』はずっと戦ってきたし、これからも戦っていくでしょう。
でも、『ゴー宣』はバトル「だけを」描いてきた漫画ですか?
ゴー宣の戦いは、単に戦いのための戦いだったのでしょうか?
「何のために」戦っていたか、それこそが最も重要なのではありませんか?
「バトルがあるから一緒」だなんて、そこまで表層的なことを言って、それに誰もツッコミを入れずに、みんなで盛り上がっている様子を見て、私は愕然としてしまいました。
前半の「初見読み」が凄かっただけに、この落差は一体何なんだろうと思ってしまいます。